共感性羞恥という「他人が恥をかくのが恥ずかしくて見れない」感情

「共感性羞恥(きょうかんせいしゅうち)」という言葉をご存知でしょうか?

テレビなどで誰かが恥をかくようなシーンを見ると自分も同じように恥をかいた感覚に陥るという感情なのですが、先日ツイッターで

このようにつぶやいたところ「分かる」「私も」という反応が結構ありました。

あまり聞きなれない「共感性羞恥」という言葉ですが、特に病気などではなく一種の感受性の強さであると私は認識しています(個人の見解)

簡単にですが「共感性羞恥」について例などをあげながら説明したいと思います。

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共感性羞恥とはどのような感情か

私がこの「共感性羞恥」という言葉を知ったのは以前テレビ番組を見た時ですが、自分自身の感情の変化に関しては子どものころから気がついていました。

とにかく恥ずかしいというか気持ちが落ち着かない状態で、テレビであればチャンネルを変えたり、席を立ったり、無理やりスマホに目線をおとして避ける行動をとってしまいます。

大人になってからは幾分マシになりましたが、子どもの頃は耳を手で塞いて「う~」と唸って聞かないということもありました。

共感性羞恥はどんな時に感じる感情か

共感性羞恥を感じる例として

「テレビでこの後、登場人物が恥をかくというのが分かると見ていられない、目をそらしたくなる」

「恥をかいているシーンを見ると、まるで自分のことのように感じてソワソワしてしまう」

「自分が関係ない赤の他人なのに、その人が周りから追いつめられたり、しどろもどろしている状態をみると私もなぜか焦る気持ちになる」

「テレビのドッキリは見れない(面白さよりも恥ずかしい気持ちになってしまう)」

お笑い芸人さんが「意図的に恥ずかしい姿を笑ってもらいたい」というような状態であれば大丈夫ですが、ドッキリは素の状態で引っかけるので複雑な心境になってしまいます。

そして私がもっとも強く感じてしまうのが

◆会社で同僚や仕事仲間が会議の際に的外れや間違っていることを話して、しどろもどろになっている状態(同僚が恥をかくことになりそう)

◆テレビの生放送で電話をして視聴者とゲームをするようなコーナーで視聴者が流れを理解できておらずスタジオ側が慌てるような状態(司会進行が滞ってしまいそう)

の2つです。

こんな時、私自身は全く関係ないのに何故かハラハラドキドキしてしまいます。

ツイートに対しての皆さんの反応

ドッキリ系の番組とか、失敗したら罰をうける系のバラエティー番組が苦手でCMで流れるだけで落ち着かなくなってチャンネルを変えます。

生放送の出演者の「間を繋がないと!」っていう焦りが伝わってくるのが辛くて、僕は生放送見られません

テレビでも人が失敗するシーンはぞわーっとして見ていられず、だいたいチャンネル変えてしまいます

他にもたくさんの「私もこれ」「自分と同じ」という反応を頂けたことから「決して多くはないけど一定数同じように感じている人はいる」と感じました。

自分以外の家族はこの感覚が分からないようなので「もしかして私だけ・・?」と以前は思っていたのですがテレビでこの感覚に「共感性羞恥」という名称があることも知りましたし、意外と多いと感じましたのでちょっと安心しました。

まとめ

「共感性羞恥」は恥をかくのを見るのが苦手という感情の一種ですが、人により「ハラハラするけど何とか見れる」「心が痛んで全然見ることができない」とレベルも違い、ドラマや映画の実写だとリアルなのでダメ(ドキュメンタリーなども)の人、「アニメや漫画でもダメ」だという人など違いもあるようです。

私が見たテレビのアンケートでは全体の10%ぐらいが、この感情を持っていると言っていましたが「たった10%しかいないの?」と思ってしまいました。

特に日常生活に問題があるわけではありませんが、心が痛んだり、影響が強い事象があった場合は夜も眠れずにそのことを考えたりすることもあるのですが「共感性羞恥」という感情をもっていることが感受性が豊か、繊細な感情持ちであるとも言えると思うのでポジティブにとらえていきたいです。

 

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