福島県「野口英世記念館」で偉大な研究者の生き方を感じる

先日、福島県の野口英世記念館に行ってきました。小学校のころ遠足で訪れたのが最後だったので二十数年ぶりの訪問となります。

この野口英世記念館、開館が1939年なので78年の歴史があるとは驚き。

千円札の顔となった偉大な野口英世先生の生涯や研究成果を学びにやってきました。

私が高校のころ週間少年マガジンで、むつ利之先生のDr.NOGUCHI(ドクターノグチ)が連載していました。毎週欠かさず読んでいたので予習はバッチリ済んでいます。

厳しい環境でも負けずに勉強して偉大な細菌学者となる野口英世先生の生涯を漫画化したもので心を打つ場面が多く、同じクラスの不良の佐々木くんも泣いていました。

野口英世記念館には英世が生まれ育った家が保存されています。というか家そのものが記念館の一部で野口英世が生まれ育ったその場所にあります。

私が二十数年前に訪れた時の記憶では英世の生家はそのまま雨ざらしだったような気がするのですが、いつの間にか立派な屋根が出来ていました。元々屋根あったかな・・(うろおぼえ)

↑野口英世先生の生家。生まれ育った家。記念館に入らなくても国道49号線沿いなので国道側からも家の裏側が見える。

この家、1823年に建築されたものだそうで、何と築194年!!!

↑家の中にも入ることが出来るので大事に見ましょう。

野口英世は小さい頃、名前を清作と言いました(大人になってから名前を英世に改名)。

赤ん坊の頃に母のシカが目を離した隙に囲炉裏に落ちてしまい左手に大やけどを負って指がくっ付いて開かなくなります。

↑清作が囲炉裏に落ちそう!あぶない!!

清作は小さい頃、左手の障害のことで苛められたり、馬鹿にされたりします。

左手がうまく使えないと農作業は難しいので、清作が学問の力で身を立てられるようにと考えた母シカは貧しい暮らしの中、必死に働いて清作を学校に通わせます。(ちなみに父親は酒好きの怠け者で浪費家。野口家の貧困の元凶)

その後、先生や同級生に恵まれた清作は左手を治すための募金で集まったお金で手術が行われ、完全にではありませんが左手が使えるようになります。

この手術がきっかけで清作は医者を目指すようになります。

大金を借りて上京して医師免許の取得を目指すが、借りた大金をあっという間に遊びに使い切ってしまうという人間くさいエピソードもありながら、伝染病研究所、検疫所などでの勤務を経てアメリカへ渡ります。

野口英世エピソード

流行りの小説に出てくる登場人物のダメ人間と名前が似ているからと名前を英世に改名。

蛇毒や梅毒スピロヘータの研究で成果を出し医学会に名前を知られることになります。

↑野口英世が上京する際に柱に刻んだ「志を得ざれば再び此地を踏まず」意味は「自分が決めたことをやり遂げない限り再び戻ることはない」という覚悟のようです。

アメリカに渡った英世は15年も日本に戻らず、母のシカはさすがに待ちくたびれて英世に手紙を書きます。字が書けないシカは周りの人達に教えてもらいながら一字一字思いを手紙に込めました。

↑シカの手紙。英世に会いたいという気持ちと、慣れない字を書いたというのが分かるたどたどしい筆跡が感動ポイント。音声が流れて朗読されます。

↑シカ直筆の手紙。

結局野口英世がアメリカから戻ってきたのはこの1回だけで、その後黄熱病の研究の際に自身感染してしまい亡くなってしまいます。

もっと親孝行してよ先生!

↑記念館はリニューアルされ、細菌についての基礎知識などの紹介コーナーもあります。

↑先生もいます。

↑先生と生家

私が小学生のころ、この施設を訪れた時はこのような見ごたえのある施設ではありませんでした。分かりやすく野口英世の生涯や研究成果が展示されています。

猪苗代湖と磐梯山がすぐ近くにあるこの場所から、貧しさや左手の障害にも負けず偉大な研究者が生まれたんですね。

母親の努力家な面だけではなく、父親の浪費家というダメなところもしっかり受け継いでいるとは・・偉大です。

野口英世記念館:入館料金 大人(15歳以上)600円   こども(小中学生)300円

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